本物の文章には魂が込められている

 最近よく見てるブログは、ニートの海外就職日記と、たぬきちの「リストラなう」日記だ。前者はニートが海外に活路を求め、外から日本の労働環境を見た光景をつづっている。後者は大手出版社の早期退職制度に応募した営業職の人が、業界の内部事情を絡めながら、退職にいたるまでの状況や心情を書いている。まあ、紹介するまでも無い有名なブログですな。海外ニートさんは特に。

 物書きが職業でないこれらのブログがなぜ人をひきつけるかと言うと、そこには自分をかっこよく見せようというより、社会通念上みっともなさそうでも思ったことをそのまんま曝け出してるからではないかと。見栄を張らず将来の不安も吐露している危うい部分が、リアルタイムで進む小説をどきどきしながら読んでいるように感じさせるのだ。そして、その世界観を、同じ空気を共有している感覚に浸りたい、というのが読者の多さにあらわれている気がする。

 ぐだぐだ書いたけど何を言いたいのかというと。要は読んでみたらこの2つのブログには魂が込められていた、と言うことだ。魂が込められた文章は人の心に届くのだ。

 以前、政治家のハマコーさんがツイッターを始めたとき、このハマコーさんは本物なのかと言う議論が起きた。その時ハマコーさんは、「私が本物か偽者かはどうでもいい。大事なのは、そこに魂があるかどうかです!!」というような事をつぶやいておられた。ご本人をイメージすると叫んでいたと言う方が近いのだが。

 ただ、これを見たとき、人の心に届く言葉とは魂があるかどうかなんだ、とようやく自分の中で定義できたわけで。

 そして、そういう魂が込められた文章を読みたいな、と言う時に上の2つのブログが自分の中でヒットしたわけであります。なお、そこに魂があるかどうかの判断は人によって違うことも書いておきまつw ついでに、こういう逃げ道を用意する文章に魂が込められているのかと追求するのは大人気ないのでやめませう。

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